十善戒

― 暗闇でかわす約束 ―

高野山にお連れする際必ずと言ってよいほどで授戒を受けるようにしております。

灯りを落とした静寂の中、僧侶から十善戒を授かる儀式。
それは誰かに見せる誓いではなく、
弘法大師空海さまと、自分自身との約束です。

暗闇は誤魔化しがきかず見えないからこそ、自分の心だけが浮かび上がる。

参加者の多くが「気が引き締まった」と話していました。
十善戒は素晴らしい誓いですが、実践は簡単ではありません。


十善戒とは何か

十善戒は「罰の教え」ではありません。
お釈迦様が約2,600年前、人の苦しみの原因を見つめ、
苦しみから離れるための生き方として示された道です。

大きく三つに分かれます。 身口意と10個の戒律


① 身(からだ)の三善

不殺生(ふせっしょう)

命を大切にするということ。

私たちは命をいただいて生きています。
野菜も魚も肉も、すべて命です。

口に入れるもので命のないものは、ほぼ水と塩だけ。
だから「いただきます」と手を合わせる。

殺さずに生きることはできません。
だからこそ、感謝していただく
それが不殺生の本質です。


不偸盗(ふちゅうとう)

他人のものを盗まない。

法律以前の問題です。
盗んだ瞬間から「奪われる不安」が始まる。
心は安らぎません。

幸せは奪うものではなく、積み重ねるもの。


不邪淫(ふじゃいん)

関係を乱さない。

一時の快楽はあっても、
信頼を裏切れば苦しみが残る。

本当の幸せは、大切な人を尊重すること。


この三つは、行動の戒めです。


② 口(ことば)の四善

不妄語(ふもうご)

嘘をつかない。
一つの嘘は次の嘘を生みます。


不綺語(ふきご)

飾りすぎない。
お世辞や過度な自慢は心を濁らせます。


不悪口(ふあっく)

悪口を言わない。
言葉は波動。空気をつくります。


不両舌(ふりょうぜつ)

二枚舌を使わない。
人によって態度を変える心は、自分を苦しめます。


この四つは、言葉の修行です。

経営も指導も、
組織が乱れる原因は多くが言葉の乱れです。

怒らず、恐れず、焦らず、悲しまず。
これは精神論ではなく、言葉の整え方です。


③ 意(こころ)の三善

不慳貪(ふけんどん)

欲に支配されない。

もっと、もっと、と求めすぎる心は
満たされることがありません。


不瞋恚(ふしんに)

怒りに支配されない。

怒りは一瞬で、
長く苦しむのは自分です。


不邪見(ふじゃけん)

誤った見方をしない。

偏見や思い込みは
真実を見えなくします。

学び、問い、考える。
それが邪見を離れる道です。


この三つは、心の根本です。
外からは見えないけれど、すべての行動の源です。


十善戒は「教え」ではない

高野山の暗闇で誓った約束は、
日常で試されます。

・スタッフへの一言
・会員様への対応
・家族との会話
・数字が苦しい時の判断

十善戒は特別な人のためのものではありません。
生活のための教えと私は解釈しています。


実践道

お釈迦様は説きました。

理解するだけでは足りない。
実践してこそ意味がある。

今日一日を点検する。

・命を大切にできたか。
・人を傷つける言葉はなかったか。
・怒りに支配されなかったか。

完璧を目指すことなく
気づき続けることが日常でありそれを私は修行だと思っています。
習慣化です。


最後に

十善戒は
守れなかった自分を責めるためのものではありません。

心を整えるためのものと解釈ください。

暗闇で交わした約束を、
光の中で思い出す。

それが人間力であり、
人の生きる土台でもあります。

今日もまた、
怒らず、恐れず、焦らず、悲しまず、
明るく、楽しく、親切愉快に生きる
十善戒は、
守る戒めではなく
自分を育てる教えかと。

日々精進。
いつもお読みいただきありがとうございます。


「不殺生(ふせっしょう)」
「不偸盗(ふちゅうとう)」
「不邪淫(ふじゃいん)」
「不妄語(ふもうご)」
「不綺語(ふきご)」
「不悪口(ふあっく)」
「不両舌(ふりょうぜつ)」
「不慳貪(ふけんどん)」
「不瞋恚(ふしんに)」
「不邪見(ふじゃけん)」