座禅断食を終えて 〜千日回峰行者の静寂と光に包まれて〜

吉野行藏院を訪れ、金峯山修験本宗の柳澤慎吾阿闍梨とご一緒する貴重な機会をいただきました。

柳澤大阿闍梨は、戦後初めて大峰山千日回峰行を満行された行者。その背は、山に命をかけて登拝した人が持つ、深みが宿っています。

座禅断食は止観行をしながら期間中断食を行うもので、長野の法蔵先生が考案したものです。千日回峰行者ならではの静でありながら動的な止観と澄んだ気配だけが漂います。

阿闍梨は多くを語らず、姿勢と呼吸で観想の世界を示してくださいます。おなかの底から息を吐き、息を吸い、体中に清気を満たし、また吐く。吐くたびに心の濁りが溶けて感覚。空から有へ有から無への繰り返し。

断食もセットでしているため感覚が研ぎ澄まされ、わずかな風の動きや香りまでもが鮮やかに感じられました。空腹というよりも無駄がない感覚・時間が経つにつれ、さらに空腹感はなく不思議と静かな充足感へと変わります。

思考が削ぎ落とされ、何か調和する感覚。そこに「何かを得よう」とする力みや欲もなく、ただ坐り、ただ在るという境地が広がっていました。

阿闍梨の澄んだ瞳と優しさは心が鎮まります。命の根を見つめ直す時間終わりの合図とともに立ち上がると、身体は軽く、心は深く満たされています。座禅断食は、単なる健康法や修行の一部ではなく「命を静かに見つめ直す時間」という感覚でした。

千日回峰という極限の行を歩んだ方と同じ空間で呼吸を重ねることで、自分の中にある静けさと光を思い出させてもらえました。

食明けして体調がよいことは言うまでもありません。合掌