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「病は気から」
昔から日本には、こんな言葉があります。
僕はこの言葉を、単なる精神論だとは思っていません。
最近では、慢性的なストレスが自律神経やホルモン、免疫、睡眠、さらには日々の行動に影響することが医学の世界でも研究されています。
また、「良くなると思うことで症状の感じ方が変わる」プラセボ効果とは反対に、「悪くなるのではないか」という予測によって症状を強く感じるノセボ効果も知られています。
つまり、
心と體は、まったく別々に存在しているわけではない。
これは少しずつ科学の側からも見えてきています。
だから僕は時々思うのです。
私たちは日常の中で、
「病気」
「痛い」
「悪い」
「不安だ」
「また悪くなるかもしれない」
という言葉を使い過ぎてはいないでしょうか。
もちろん、痛いものを「痛くない」と無理に思い込む必要はありません。
病を見ないことと、病ばかりを見ることは違います。
僕が大切にしたいのは、
病を探すことに人生を使うのではなく、健康を育てることにも意識を向けてみること。
です。
「私は病気です」
という言葉だけで自分を定義するより、
「今、治している途中です」
「今日も體は働いてくれている」
「私は健康になるために今日を生きています」
そんな言葉を自分に与えてみてもよいと思うのです。
人間には、本来「危険を察知する力」が備わっています。
危険を見つける。
不安を感じる。
痛みを察知する。
これは生き延びるために必要な機能です。
しかし現代では、その優秀な機能が必要以上に働き続けることがあります。
まだ起きていない明日を心配する。
人からどう思われるかを考え続ける。
小さな身体の違和感を探し続ける。
嫌な出来事を頭の中で何度も再生する。
すると身体も、その不安に反応し続けます。
だから「考え方を変えれば全部治る」と言いたいのではありません。
考え方もまた、健康を構成する一つの環境ではないでしょうか。
という問いなのです。
僕自身、以前は薬に頼って生活していた時期がありました。
もちろん薬に助けてもらったこともあります。
しかしある時、
「自分自身で整えられるところはないだろうか」
と思い、身体、食事、心についていろいろ調べ始めました。
そして僕なりに辿り着いたものは、とてもシンプルでした。
體をつくるもの。
心をつくるもの。
體は、食べたもの、飲んだもの、呼吸、睡眠、運動など日々の生活によってつくられていきます。
そして心は、
何を見て、
何を聞き、
何を考え、
どんな言葉を使い、
物事をどう受け取るか、
によって少しずつ形づくられていきます。
僕はここに、
「體を整えること」と「思いを整えること」
の両方が必要なのではないかと思っています。
出口王仁三郎さんの『霊界物語』には、
「霊主体従」
という言葉が出てきます。
霊を主とし、体を従とする。
大本の公式資料でも『霊界物語』第一巻に「霊主体従の本旨を実行」と記されています。
僕はこの言葉を医学としてではなく、
人間は目に見える肉体だけで生きているのではない
という一つの思想として受け取っています。
小林正観さん、斎藤一人さん、中村天風さんなど、多くの先人たちも形は違えど「心の置きどころ」を大切にしてきました。
仏教でも、
すべての結果には因があり、縁があり、果がある。
「因果」という考え方があります。
ならば身体に何かが現れた時、
「病名は何だろう」
だけではなく、
「最近の僕はどう生きていただろう」
「休めていただろうか」
「怒り続けていなかっただろうか」
「何を恐れているのだろう」
「無理をしていないだろうか」
「ちゃんと感謝して食べていただろうか」
と自分に問うことも、健康への一つの入口だと思います。
東洋医学にも古くから、
怒りと肝、
恐れと腎、
悲しみと肺、
思い悩むことと脾、
など、感情と身体を結びつけて観る考え方があります。
これは現在の西洋医学で一対一の因果関係として証明されているものではありません。
僕も、
「ここが痛いから、あなたはこういう性格だ」
などと決めつけるために使うものではないと思っています。
むしろ、
身体に現れたものを、自分の生き方を見つめる一つの鏡として使う。
僕はそのくらいがちょうど良いと思っています。
肩が重ければ、
「何か背負い過ぎていないかな」
胃が苦しければ、
「ちゃんと命をいただくことに感謝できているかな」
頭がいっぱいなら、
「考え過ぎていないかな」
腰がつらければ、
「人生の要である自分自身を後回しにしていないかな」
そう問いかけてみる。
それで一つでも心当たりがあり、生活が良い方向へ変わるのであれば、その見立てにも意味があると思うのです。
そして、ここはとても大切です。
僕は現代医学を否定していません。
薬も、
手術も、
検査も、
救急医療も、
必要な時には人の命を救ってくれます。
日本の2025年の平均寿命は男性81.35歳、女性87.33歳です。
これは医療だけではなく、公衆衛生、上下水道、栄養状態、予防接種、生活環境など、多くの積み重ねによって実現したものです。
ですから、
「昔の人は自然な生活をしていたから全部健康だった」
と単純に考えることも違うと思っています。
よく「縄文人の平均寿命は30歳程度」と言われますが、実はこれも推計方法によってかなり違います。
縄文人の15歳時点の平均余命について、古い推計では16年、新しい方法では32年とする研究もあり、古代の寿命を一つの数字だけで語ることはできません。
昔には昔の素晴らしさがあります。
現代には現代の素晴らしさがあります。
僕たちがすべきなのは、
昔に戻ることではなく、現代の恩恵をいただきながら、人間本来の力も忘れないこと。
ではないでしょうか。
病院に行かない。
薬を飲まない。
それを健康だとは僕は思いません。
反対に、
身体のことをすべて病院と薬だけに任せ、自分の食事、睡眠、運動、考え方を何も変えないことも違うと思っています。
医療の力を借りる。
そして同時に、
自分自身でも整える。
これが僕の考える健康です。
僕は最近、
病を治すこと以上に、健康を育てること
を大切にしています。
身体に入れるものを整える。
身体を動かす。
眠る。
笑う。
感謝する。
人も自分も許す。
自分を追い込み過ぎない。
言葉を整える。
そして今日という一日を楽しむ。
身体と心は、どちらか一方だけではありません。
両方を整えていく。
そこに僕は健康の原点があると思っています。
最後に、僕がいつも思っていることがあります。
人は必ず死ねます。
そして、死ぬまでは死にません。
だからまだ来てもいない明日を心配して、
今日という命を使ってしまうのは、もったいない。
死んだ時が寿命。
それまでは、
いただいた命を精一杯使う。
中村天風さんが大切にした「積極精神」のように、
明るく、
元気に、
朗らかに。
一日の始まりを笑顔で迎える。
病を探し続ける人生より、
今日の健康を一つずつ育てていく人生。
僕はそんな生き方をしていきたいと思っています。
そして健康とは、
「病気がないこと」だけではなく、
この命を今日もありがたく使えること。
なのかもしれません。
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