暑中見舞いの本当の意味

―「元気ですか」と、命を見守る日本の文化―

「暑中お見舞い申し上げます」
何気なく使いますが、なぜ夏の挨拶を「お祝い」ではなく、お見舞いというのでしょうか。

「見舞う」という言葉は、もともと「見回る」「訪ねる」「相手の様子を確かめる」
という意味があるようです。

古い文献にも十五世紀頃から、人を訪ねる意味での用例が見られます。

江戸時代の明和六年(一七六九年)に刊行された『柳多留』には、
すでに「暑気見舞」という言葉が登場しています。

暑中見舞いとは、初め形式的な挨拶ではなく、
厳しい暑さの中で、相手が無事に暮らしているかを確かめる行為と考えられます。

昔、お盆の頃に親族やお世話になった人の家を訪ね、相手の健康を気遣い、食べ物や品物を届けました。
やがて郵便制度が広がり、直接訪ねる代わりに手紙や葉書で心を届けるようになり、大正時代頃には現在の形が定着したとされています。


日本人は、夏を「乗り切る季節」と考えた

夏は、体力を消耗し、食欲が落ち、心身の調子を崩しやすい季節です。

冷房も冷蔵庫もなかった時代、暑さは今以上に命に関わるものでした。
私たちの先祖は、土用、暑気払い、夏越の祓、お盆など、さまざまな行事を通して、身体と心を整えてきました。

六月末に行われる「夏越の大祓」では、半年間に積もった罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を願います。茅の輪をくぐるのも、単なる行事ではなく、心身を一度清め、本来の自分に立ち戻るための節目です。

その流れの先に、暑中見舞いがあると僕は思います。

夏越の祓が自分を整える行いであるならば、
暑中見舞いは、お互い様という気遣う行いともいえるでしょう。


暑中見舞いは、小さな「利他」

山行をしている私は、暑さや寒さはただ嫌うのではなく、自然の中に身を置き、自分の身体と心の状態を見つめます。

山では、自分だけが元気でも仲間が倒れれば行は続けられません。
「水分は足りているか」
「顔色は大丈夫か」
「無理をしていないか」
互いの身体を見守ることも、大切な行です。

暑中見舞いも同じと考えます。

相手を思い浮かべ、
「お身体は」
「無理をされてないか」
「いつもありがとう」
と伝えたい。

そこに、物を贈る以上の価値があります。

暑中見舞いとは、日常の小さな利他行でした。


季節の変化に、心を合わせる

古神道的では、人間と自然を別々のものとして考えません。
太陽が照り、雨が降り、水が巡り、草木が育つ。
その天地の循環の中に、人間の身体もあります。

二十四節気では、小暑から大暑を経て立秋を迎えます。
立秋は「急に涼しくなる日」ではなく、
夏の力が頂点を越え、天地が少しずつ秋へ向かい始める節目です。

立秋を境に「暑中見舞い」から「残暑見舞い」へと呼び方が変わるのも、
日本人が実際の気温だけでなく、天地の巡りを感じながら暮らしてきたからです。

暑中見舞いそのものが古神道の神事ではないでしょうが、生活様式の中に神道の教えがあるなら、季節の変化を感じ、相手の無事を祈り、感謝を言葉にして届ける姿には、日本人が古くから大切にしてきた祈りの心を感じます。


今、暑中見舞いの文化を大切に

暑中見舞いは、立派な葉書でなくてもよいと思います。
電話でも、メールでも、LINEでも構いません。

大切なのは、形式ではなく、
「あなたのことを思っています」
    と伝えることです。

忙しい時代だからこそ、
立ち止まり、自分にとって大切な方の顔を思い浮かべてみる。

そして、短い言葉を届ける。
「暑い日が続きますが、お身体はいかがですか」
「水分を取り、どうぞ無理をなさらずに」
「いつも支えていただき、ありがとうございます」
 その一言が、相手の心を涼しくまた温かくすると思います。


BIG WINGSからの暑中見舞い

暑さ厳しき折、皆様の身体と心が健やかでありますように。

自然に親しみ水を大切にし、
身体の声を聴き、決して無理をし過ぎず、この夏をともに元気に越えてまいりましょう。

いつもつながっていただいているご縁に、心より感謝申し上げます。