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私たちが毎日のように使っている言葉の中には
もともと佛教の修行や教えから生まれたものがたくさんあります。
今日はその中から5つ。
今では「おはようございます」「こんにちは」ですが
もとは禅の世界の言葉です。
「挨」は押す
「拶」は迫る
という意味。
禅僧同士が問答をして
相手の悟りや修行の深さを確かめることを「挨拶」と言ったそうです。
挨拶はただ声をかけることではなく
「あなたは今、どんな心で生きていますか」
と相手の心に触れる行為だったのかもしれません。
僕は、今の「心を交わす挨拶」としての要因の方が好きですが✨
「少しくらい我慢しなさい」
今では耐えることですが
本来の語源、佛教では、ほぼ反対の意味です。
我慢とは
「我」(自分)に執着して
自分を高く見て、他人を軽く見る心。
佛教で説かれる「七慢」という慢心の一つです。
例えば
「自分の方が正しい」
「自分の方が分かっている」
そう思った瞬間こそ
昔の意味では「我慢」が出ている。
耐える我慢より
自分の我を少し手放す。
こちらの方が難しい修行です。いつも僕もここに陥る時があるので気をつけます♪
今は
「失敗する覚悟でやるぞ」
「覚悟を決めて進もう」
などの使い方をします。
佛教では
迷いから目を覚まし、真理を悟ること
を覚悟と言ったそうです。
覚=さとる。迷いから目を覚ます 目覚める
悟=さとる。迷いが消えて真理を知る 本質の理解
両方ともさとるですよね(驚)
僕の思う覚悟の定義は
歯を食いしばることより
「そうか、そういうことだったのか」と気づくことにしています。
そうやって自分の行いに気づくことができれば
行動って自然と変わる気がします。
刹那はサンスクリット語の
kṣaṇa(クシャナ)から来た言葉。ちょっと佛教観でてしまいごめんなさい。
非常に短い時間を表した言葉です。
指を一度弾く間にも
何十もの刹那があると説かれました。
人は昨日を悔やみ
明日を心配します。
でも実際に生きられるのは
この一刹那だけ。
一瞬一瞬を丁寧に生きる。
それも佛教の大切な教えです。
僕の好きな言葉に「今今と今という間に今ぞ無く 今という間に今ぞ過ぎ行く」があります
「暇で退屈だなあ」
今ではそう使います。
佛教での退屈は
修行が苦しくなり
悟りを求める心を失ってしまうこと。
暇なことではなかったのです笑。
何かを始めたけれど
結果が出ない。
面倒になった。 もうやめよう。
その心が「退屈」。
仕事でも勉強でも修行でも
あと一歩続けたところから
景色が変わることがあります。
退屈とは
暇ではなく、心が退こうとする瞬間。
面白い言葉です。
これは水泳の練習、選手やコーチにも使えるたとえ話ですね♪
「阿吽の呼吸」の阿吽も密教の言葉です。
サンスクリット語の
a(阿)と hūṃ(吽)。
あ 阿は口を開いて出す最初の音。
ん 吽は口を閉じて出す最後の音。
密教では
始まりから終わりまで
すべての世界を阿吽で表す
とも考えます。
生まれて
生きて
最後に還っていく。
呼吸もまた
「阿」から始まり
「吽」へ帰る。
何気なく使っている言葉の中にも
昔の人が見ていた世界観があります。
合掌
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