身近な仏様用語

私たちが毎日のように使っている言葉の中には
もともと佛教の修行や教えから生まれたものがたくさんあります。

今日はその中から5つ。

① 挨拶(あいさつ)

今では「おはようございます」「こんにちは」ですが
もとは禅の世界の言葉です。

「挨」は押す
「拶」は迫る
     という意味。

禅僧同士が問答をして
相手の悟りや修行の深さを確かめることを「挨拶」と言ったそうです。

挨拶はただ声をかけることではなく

「あなたは今、どんな心で生きていますか」
と相手の心に触れる行為だったのかもしれません。

僕は、今の「心を交わす挨拶」としての要因の方が好きですが✨


② 我慢(がまん)

「少しくらい我慢しなさい」

今では耐えることですが
本来の語源、佛教では、ほぼ反対の意味です。

我慢とは
「我」(自分)に執着して
自分を高く見て、他人を軽く見る心。

佛教で説かれる「七慢」という慢心の一つです。

例えば

「自分の方が正しい」
「自分の方が分かっている」

そう思った瞬間こそ
昔の意味では「我慢」が出ている。

耐える我慢より
自分の我を少し手放す。

こちらの方が難しい修行です。いつも僕もここに陥る時があるので気をつけます♪


③ 覚悟(かくご)

今は
「失敗する覚悟でやるぞ」
「覚悟を決めて進もう」
   などの使い方をします。

佛教では
  迷いから目を覚まし、真理を悟ること

            を覚悟と言ったそうです。

覚=さとる。迷いから目を覚ます 目覚める
悟=さとる。迷いが消えて真理を知る 本質の理解
 両方ともさとるですよね(驚)

僕の思う覚悟の定義は
 歯を食いしばることより
 「そうか、そういうことだったのか」と気づくことにしています。

そうやって自分の行いに気づくことができれば
行動って自然と変わる気がします。


④ 刹那(せつな)

刹那はサンスクリット語の
kṣaṇa(クシャナ)から来た言葉。ちょっと佛教観でてしまいごめんなさい。

非常に短い時間を表した言葉です。

指を一度弾く間にも
何十もの刹那があると説かれました。

人は昨日を悔やみ
明日を心配します。

でも実際に生きられるのは
    この一刹那だけ。

一瞬一瞬を丁寧に生きる。

それも佛教の大切な教えです。

僕の好きな言葉に「今今と今という間に今ぞ無く 今という間に今ぞ過ぎ行く」があります


⑤ 退屈(たいくつ)

「暇で退屈だなあ」
   今ではそう使います。

佛教での退屈は
修行が苦しくなり
悟りを求める心を失ってしまうこと。

 暇なことではなかったのです笑。

何かを始めたけれど
結果が出ない。

面倒になった。  もうやめよう。

その心が「退屈」。

仕事でも勉強でも修行でも
あと一歩続けたところから
景色が変わることがあります。

退屈とは
暇ではなく、心が退こうとする瞬間。
   面白い言葉です。

これは水泳の練習、選手やコーチにも使えるたとえ話ですね♪


今日の密教語 「阿吽(あうん)」

「阿吽の呼吸」の阿吽も密教の言葉です。

サンスクリット語の
a(阿)と hūṃ(吽)

あ 阿は口を開いて出す最初の音。
ん 吽は口を閉じて出す最後の音。

密教では

始まりから終わりまで
すべての世界を阿吽で表す

とも考えます。

生まれて
生きて
最後に還っていく。

呼吸もまた

「阿」から始まり
「吽」へ帰る。

何気なく使っている言葉の中にも
昔の人が見ていた世界観があります。

合掌