おかげ様の数

自分の後ろにいる数え切れない先人

私たちは日常の中で、何気なく
「おかげさまで元気です」
「皆様のおかげです」
     という言葉を使っています。

この「おかげ様」とは、
見えないけど見守ってくれている人
陰で見守っている人
目立たないけど支えてくれている人
謙虚でも存在感がある人
とみるといったい何人くらいいらっしゃるのでしょうか。

自分から
一代さかのぼると、父と母の二人がいます。
二代前には、父方と母方の祖父母が四人。
三代前は八人。
四代前は十六人。
この中で何名の方の名前を言えるでしょうか?
僕は4名でした💦
こうして一代さかのぼるごとに、祖先の席は二倍になっていきます。

十代前になると、その代だけで千二十四人。

さらに、自分の父母から十代前までをすべて合計すると、二千四十六人になります。

一代を分かりやすく二十五年と仮定すると、十代前は約二百五十年前。

今から二百五十年前といえば、江戸時代です。

その時代を生きた千人を超える人たちの誰か一人でも欠けていたら、
今の私は存在していません。

出会わなかったかもしれない。
病や飢えを乗り越えられなかったかもしれない。
子どもを授からなかったかもしれない。

その無数の偶然とご縁が途切れることなく、今の自分の命になっています。


二十代前には百万人

さらに計算すると
二十代前になると、百四万八千五百七十六人。
三十代前では、その代だけで十億七千三百七十四万千八百二十四人。

もちろん、これはすべてが別人だった場合の理論上の数字です。

実際の家系では、同じ地域や一族の中でご縁が重なり、
一人の祖先が家系図の複数の場所に登場します。

したがって、この数字は「別々の祖先の人数」というよりも、
自分の命につながる祖先の席数と考える方が良いかもです。

世代をさかのぼるほど祖先同士が重なっていくことは、系譜学では祖先の重複、いわゆる「ペディグリー・コラプス」と呼ばれています。

しかし、同じ祖先が重なっていたとしても、
命のご縁の重さが減るわけではありません。

僕たちは、思っている以上に深く結ばれ、同じ時間の流れを生きています。


「おかげ様」は、見えない働きへの感謝

「おかげ」は、漢字で「御蔭」や「御陰」と書きます。

もともとは神仏の助けや加護を表し、
そこから、人から受けた力添えや恵みを意味する言葉になりました。

陰は、表からは見えません。

木陰が私たちを強い日差しから守ってくれていても、普段は木陰そのものを意識しないように、私たちの命も、目には見えない無数の働きによって守られています。

父母のおかげ。
祖父母のおかげ。
先祖のおかげ。

食べ物を作る人のおかげ。
水や空気や大地のおかげ。
一緒に働く仲間のおかげ。

仏教では、すべてのものは単独では存在せず、無数の原因と条件によって成り立っていると説きます。

これが「縁起」です。

僕の命も、自分一人の力で生まれたわけでもなく、
自分一人の力で何一つ生きることができないことがようやくわかってきました。

まさに、すべて「おかげ様」なのです。


天皇家の百二十六代

現在の天皇陛下は、第百二十六代となります。

ただ天皇家の百二十六代という数は、百二十六世代前という意味ではありません。

父から子以外に、兄弟、親族間での皇位継承、
同じ方が再び即位する重祚なども含めた、歴代天皇の皇位継承数と認識できます。

それでも、一つの役目が百二十六代にわたって受け継がれてきたという事実は、日本という国の長い時間と、先人たちの願いが込められています。

私たち一人ひとりの家にも、名前は分からなくても、同じように受け継がれてきた命の歴史があります。


命は〇〇からの預かりもの

僕たちは、自分の命を「自分のもの」だと思いがちです。
ですが、この数字を見ていると、命は自分だけのものはなく、
先祖から一時的に預かっているものなのではないかと思えてきます。

自分を粗末にしないことは、先祖を大切にすることと言え、
自分の身体を整えることは、受け継いだ命を整えること。
今日を楽しく、懸命に生きることは、先祖への恩返しと考えることもできます。

僕たちが今どのように生きるかは、やがて子どもや孫、その先の世代にとっての「おかげ様」になります。

十代前には、千二十四人。
その数を知ったとき、自分は決して一人ではないと気づきます。

自分の後ろに、数え切れない命があり
自分の中に、数え切れないほどの想いも受け継いでいる。(はず)

だから今日も、命という時間を大切に使わせていただく。
先祖への恩返しを、未来への恩送りに変えていく。
「おかげ様」とても好きな言葉のフレーズです。

今ここに自分が生かされていることを知る、感謝の言霊として。。